赤松一族

アピールポイント

 赤松一族が百島に来た

百島には,「赤松」という姓が,多くあります。

それは,1441年(嘉吉元年)赤松満祐が,時の将軍足利義教を殺し,白幡城に立てこもっていたけど幕府軍に攻められ落城し自殺しました。その一族が逃げて百島に住み着きました。

その痕跡は,坂上の前庭に,赤松宗家の屋敷があったところに社があります。また,その近くの丘に赤松一族の墓(ほうきょう印塔・一石五輪塔)があります。

赤松一族と一緒に逃げてきた武田・村上・佐藤・藤田・宇根・堀川・稲葉(八人衆)も逃れてきました。

そして,いつ,追っ手がくるかも知れないので,弓のけいこをしていたそうです。このことから,百島でお弓神事が始まったともいわれています。

一句

 百島に

 逃れ住んだよ

 赤松家