尾道市立吉和中学校
Official Web Site Of YOSHIWA J.H.S. 
トップ 更新履歴 学校紹介 教育実践 生徒の活動 吉中太鼓 アルバム リンク ネチケット お知らせ サイトポリシー  
学校紹介
トップ吉中太鼓吉和太鼓踊り
吉中太鼓とは

吉中太鼓


吉和太鼓踊り


吉中太鼓画像


吉和太鼓踊りは広島県無形文化財に指定されており、吉和太鼓踊り保存会によって2年に1度浄土寺に奉納されます。
 吉和太鼓踊りの起源は室町時代にさかのぼると言われます。

 鎌倉幕府が倒れて実現した建武の新政も、論功行賞などを巡って公武の不和を招き、わずか2年半で崩壊し、南北朝内乱の時代を迎えました。
 関東に旗揚げした足利尊氏は、京都へ攻め上りましたが、敗れて九州へ下りました。その途中、建武3年(1336)、尾道に船を寄せた尊氏は、浄土寺観音に参詣し、戦運挽回を祈りました。一方で船頭を募り、内海の水軍を手なづけて後々の備えをしました。
 こうして九州へ下った尊氏は、九州を制して東上の途につきました。その途中、尊氏は再び尾道に船を泊め、浄土寺観世音菩薩へ法楽の和歌33首を奉じました。
 尊氏はまた、九州へ攻め入るとき尊氏軍の船手の船頭をつとめ、功労のあった吉和の人々に近海の漁業権を与え、尊氏の御座船の型を漁船に使うことを許すなどの特典を与えました。これを喜んだ吉和の漁民が勇壮な戦勝祝いの踊りを踊りました。これが今に残る吉和太鼓踊りの始まりとのことです。
                                      (尾道の民話・伝説:尾道民話伝説研究会)

また、吉和町誌には、次のように書かれています。
「応仁の頃、吉和に悪疫が流行して、漁民の多くが困り、浄土寺の観音様に病気平癒の御祈願を込めたところ霊験あらたかにして、病気がたちまち平癒したので、そのお礼として毎年観音様のご命日である陰暦7月18日に吉和踊りを奉納したものである。後世になって隔年奉納することになった。」

吉和太鼓踊りには小・中学生の有志も参加しています。7月から練習を開始し、8月に太鼓踊りを浄土寺に奉納しました。

7月、太鼓踊りの練習が始まりました。
猛暑の中体育館で何時間も汗を流します。
本番が近づくと、地域の「射場」と呼ばれる広場に集まって練習をします。
ここは昔、海賊に対する自衛のために弓を練習したという場所です。
吉和太鼓踊り本番。
浄土寺下の漁協でまず踊り、そこから浄土寺へ向けて踊りながら歩いていきます。
御座船をかたどった御船がまず境内への石段を上ります。
浄土寺の石段を後ろ向きに上っていきます。
敵が海から攻めてこないよう見張りながら上ったことが起こりだと言われています。
先頭の白い法被の人は大宰領(おおざいりょう)といってお札をもって歩く係です。
太鼓踊りの師匠がこの役をつとめます。
浄土寺境内で奉納。
境内では、一番長い踊りを奉納します。
次の日は「村回り」と言って、浄土寺でいただいた御利益を地域に配ります。その御利益をもらうと疫病が治る、といういわれがあるそうです。
本サイト記載事項・写真等の無断転用を禁じます。
Copyright;(c)2006 Yoshiwa J.H.S. All rights reserved.
〒722−0008 広島県尾道市吉和町4600番地 
пi0848)23−3821 Fax(0848)23−3822
尾道市立吉和中学校
E-mail:yoshiwa-j@onomichi.ed.jp
URL: http://www.onomichi.ed.jp/yoshiwa-j/